このところ日本にがっかりすることが多い。不況なんて言葉は生まれた頃から口癖だもんで別にいいし、よろしくない人がやたら力を持ってるけどまー社会だし多少あるわよと思って呑み込もうっちゃ呑める。
じゃあ何に絶望してるのかというと、そのどれもこれもがぶっちぎりでダサいってこと。コスパとか、言い訳とか、なんか全然カッコよくないけど同じ空気吸わなきゃだめか!?って焦る。
きわめつけはアレだ、平成最後の夏に「平成狸合戦ぽんぽこ」をオンエアできてないとか大丈夫なのか…またとない条件のそろったタイミングでやらんとか…それより大切なことあるんか…。
どうにもモヤリとする毎日、特にこういう季節を迎えたりなんかすると、私は「あー、今年も上々颱風の花園神社なかったんかー」と思う。国内外の伝統音楽とロックをブレンドして横丁酒場で寝かせたら仕上がるような、彼らのサウンドがこのところ妙に恋しい。
白崎映美と西川郷子のハーモナイズなツインボーカルが涼しく、ときにトンチキに響き、それをリーダー・紅龍らのカラフルな演奏が囲めばもう祭りのはじまりは明らかだって感じ。2013年の活動休止以降、上々颱風のサウンドを求める声はおれの中で高まりを見せる一方だ。
「平成狸合戦ぽんぽこ」の「いつでも誰かが」とかだけじゃなくて、彼らの楽曲は自分の中から消しきれない土くささを真正面から肯定してくれるような頼もしさがある。飲み屋でクダを巻くよりもシャレの効いた軽口がある。電球色のあたたかさみたいな人間味がある。こんな時代において、希少性が増していく要素ばかりじゃないか。
気づいたらマイベストチューン「夜明けの歌が聴こえる」とか紅龍ソロでやっとうやんけ。バンドでやりましょうよう。
ていうか初期のはいつのまにかサブスク皆勤されとるやんけヤッター!でも、ライブしましょうよう。
人間、多少足りてない生活をしてても生きてはいけると思うんすよ。でもその中に粋なものがなかったら、自分なりに格好のつく何かを持たずにいたら、果たして生きられるかわからないじゃないすか。自分にとって上々颱風はその代名詞といえる存在なんだなと、募る不在の寂しさからどんどん気付いてきてます。
また恒例の花園神社ライブやってくれよ!おれは待ってるぞ!!