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グッドジョブ本人

丁寧に生きている記録

小沢健二の古さ、インターネットの良さ

先週行われた音楽ナタリーの小沢健二×大山卓也のチャットが面白かった。

natalie.mu

2人がリアルタイムに文字を入力して交流するのだけれど、話題の切り換えタイミングなどやり取りがちょいちょいズレる。メッセンジャーアプリで「だれそれが入力中」というダイアログに気付いてそれを待ったら相手も黙って…みたいな噛み合わなさを夢中で見てた。

私は2017年になってもまだオザケンをちゃんと知らない。球体が奏で始めたあたりから入り口を見失い、そのうち所在もよくわからなくなり、久々にお見かけしたと思ったらずいぶん崇高な存在になりはってアアという具合で。そのおかげで、私は彼のことを「私の好きな人がみんな好きなレガシーおじさん」として見ている。おじさんのは配信で聴けないし、情報発信の仕方がいつも回りくどい。そして今回はCDショップ泣かせなシングル突然発売とか、Mステでポロリとフジロック出演のことを話すとか…あざとい!ザ・Web1.0なチャットも…おれ、どうにかなりそうだったよ!

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こういう、一方的にチャットから出るんだけど最後は自分だけのスペースにする感じとかな!でも、そんなオザケンの“アーティストシップ”に「出、出たー犬は吠えるがキャラバン進奴ーーー!!!」てなりつつ、やっぱこっちのほうがアーティストとしては理想だなーと思った。だってもし私が彼の音楽を聴いてたとしたら、オザケンのこの絶妙なファンのくすぐりかたに触れて心を乱され続けたいと思うもの。サプライズと憧れを適度に放り込まれたら、ずっと京極さんみたいな気持ちでいられそうじゃないですか。あとおれ、好きだったラッパーのツイート見て好きじゃなくなった経験あるからほんと「必要以上にステージ降りてくんな!」っていつも思ってて。だから、この小沢健二の“戦略”は、すごくいい距離感から欲しいものだけを届けてくれる素晴らしいデリバリーサービスだなあと。

個人的に、インターネットは00年代のWeb2.0病にやられたあたりから結構おかしくなった気がする。届け手と受け手がしっかり区分けされてたのが、いつのまにかステージ上で輝いてた存在マンがエゴサして片っ端からいいねするとか、アーティスト以前に直接の知り合いでもないような人がいきなり不躾なコメントを投げるとか。個人の感想ですが、マジなんなんだろう。

きっと小沢健二という人もそういうことの厄介さを知っていて、だから今さらTwitterアカウントを開設しましたなんてやんないだろう。SNSみたいなネットの相互性はクローズドな範囲でしか利用せず、彼にとってのインターネットはあくまで90年代的な公式ホームページ的活用に留めてファンを魅了していくはずだ。そんな彼にいいねボタン鬼押しして、2017年のインターネットをこれからも眺めていきたいです。あと今年こそ聴きます、ちゃんと。