グッドジョブ本人

こんなにも世の中には良いものや面白いものがあふれていたということをやんわりと残す

共感やめろ、地獄インターネット2018

インターネットは地獄ですなあと感じる機会が増えた。

ここ数年ネットの地獄はいたるところで目にしてきた。やたら炎上の着火が早くなったよねとか、コピペbotだとか、メディアモドキとか。しかし最近になり、新たなジャンルの地獄も頭角を表してきているような気がする。

数日前に「子供嫌いの言い分」というツイートが大きく拡散された。「公共の場で騒ぐ子供に対して何も言わないでいる親は甘えていてクソ」というその主張は相当数の賛同も得ている。これは先月子供が産まれた我ら夫婦にとって「どこ歩いたら世間様は許してくれるんや…」と絶望するには十分すぎた。産後の育児アドバイスとして「子を騒がせておくことで鎮める」というのを聞いた直後なだけに、なおさら。

そして子供嫌いとタイミングを同じくして、RADWIMPSが愛国心を爆発させた歌を発表。両翼こんがらがる混沌のタイムラインを構築してみせた。野田洋次郎の主張ツイートを見ながら、「音楽の才能に恵まれたほうのおれたち」的こじらせツイート好きだったのに残念だなと、勝手ながら思った。

子供嫌いマンと洋次郎、案件自体はしんどいが、まあよくある“物議を醸した話”だ。でも、それらを起点に広がる世界は無限地獄さながらで、底の見えないつらみの入り口みたいだ。どちらも賛同者が共感という棒でガンガン反対意見を殴り、当の発信者は「一部に誤解を与えたのは悪かったけど理解は得られたよね」的なことを言い放ちさっさと自己解決して。残された現場には禍々しい気持ちがわだかまったままだ。

この消耗戦シリーズ。一時的なしんどさどころじゃない。こんなの続いても明けない夜なんて果たしてくるかねという暗澹たる気持ちになりませんか皆さん。

少し前まで、ネット炎上とはよくも悪くもひとつの敵を決めつけ、そこに向かって有象無象が激情的または愉快犯的に集中砲火し焦土化するフローだった。それが最近の騒動は火の出や広がり方も下火もすべてすっきりしない。手打ちなき後味の悪さが、当事者や通行人にじんわりと染み込んで私たちの明日に付き添う。システムがそうさせるのか加担者に想像力がないのか知らんけど、悪意まで安直に拡散されてしまっているような今日このごろが、どうもいやだな。

これから先、ウェブのコミュニケーションはどうなっていくだろう。インターネットを手に入れて以来、私は新トピックが出るたびいつも期待を込めてそう考えていた。でも、最近はそれを不安まじりで考えている。

文学フリマ東京出店、36歳にして初めて人前に立つ記

以前、尊敬するマンのひとりが「あまりしてこなかったけど、おれも出ていけるようにならんとな」とテレビ出演のオファーを受けた。対人スキルが高く、年齢もいくつか上の彼なのに新しいことを自らやるなんてすげーなーと思った。おれはやらんけど、とも思った。

それから数年経って、今日はすこし彼と同じ気持ちだったかもしれない。

自分はもう36歳である。幸いにもいろんなことに恵まれた今に着地したが、相変わらず「いつか」は口ぐせのままだった。そうしてきたことで行くはずのイベントのハイライトを見逃し、楽しみにしてたはずの店が閉店し、会える人に会えなくなった。会えなくなった人のことは今でも「もしあのとき」と考える。風呂とか帰り道とかで発作的に自分が許せなくなってめちゃくちゃ手をつねったりする。

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塩漬けの下書きの束、みたいなものを20年以上続け、いい加減嫌になった。まとまった形にしたものを作り、ブースに立った。売ったのは夫視点のマタニティエッセイ。初めて売った人は覚えてる。2人目も覚えてる。とても緊張したのバレてないといいのだけれど。それから、30人位まではメモを取っていたけれど話し込んでいたらその後ろに人が、というのが続いて止めてしまった。でも話したことはだいたい覚えてる。

いろんな発見があった。Twitter見てます、という声かけ事案。「そこにいるのは人だった!」という不思議な感覚というか、おれは君のこと何も知らないのに、わざわざ流通センターまで来てくれるんだな?!というありがたい驚きがすごかった。はるばる来てくれた友人も同様。今あらためてしみじみうれしくなっている。本当にありがとうございました。大げさでもなんでもなく、この日来てくれた人たちのこと、今後の自分の励みになります。

中でも自分の作品を手にとって「自分もいま同じようにパートナーがいて、妊娠していて、こういう内容の本は心強い」と話してくれた男性が何人かいてくれたことは、性別で色がつくのを避けるために隠してきたインターネットのプロフィールを暴いてまでやった意味を感じられる、うれしい時間だった。おれの9ヶ月ぜんぶあげるからうまいことやるといいね!という切実な願いの中にいる。

これまではフリーライターとか美大生のでる単「おれいつか***やろうと思うんスよ」を言い続けてきた。「今はまだその時期じゃない」も続けて言った。下書きが溜まった。後悔もストレスも溜まる一方だった。そういう気持ちの限界と、家庭のタイムリミットが来たところに、わずかな出店料を払うことで抜け出す場をくれた文学フリマの敷居の低さすごい。36にしてようやく、とかそういうことも実はみじんも感じなかった。いつでもチャレンジできそうな場として、とてもおおらかな場所だぜ文フリ。

今、社員一同すぐやる課みたいなちょっとおもしろい会社で働いていて、そこに影響されたかもしれない。妻が最終的にすべて話してくれる人だから、そのよさもうまく働いたかもしれない。今日はそういういろいろと、積み積みの後悔がようやく立たせてくれた機会だった。

ためこむよりも出してみる、そうすることでクリアに先が生まれる。それがわかったので、これからはどんどん前に出てみたい。痛い目にも遭いながら、残りの時間でかなり研ぎたいと思う。そしてこれからはこういうことにいちいち喜んでいく。

来場者3600人の約2%にリーチした今回の上がりは約3000円。印刷代を聞く前に値付けはやめようという大反省を残しはしたが、初手にして得たものはかなり大きかった。今日は今日のことをやれました。

【ありがとう】5月6日の文学フリマ東京で妊娠発覚〜臨月現在までの夫婦録を売ってミルク代稼ぐんで!

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連休でお楽しみのところすみません。

書くことに夢中で今日まで告知をしていませんでしたが5月6日(日)に東京流通センターで開催される「第二十六回文学フリマ東京」に、本人名義(サークル名:インターネットいいよ)で出ます。…っふ、初の即売会参加でめちゃくちゃ緊張する上に、どうせならとワンマンワンアイテムで出ます。今から寂しくて死にそうだ、みんな来てくれ!

今回出品するのは「チャーミーグリーンに挑む」というエッセイです。2018年5月18日の出産に向けたお気持ち準備号と題して、妊娠がわかった瞬間の話から初期のエピソード、きちんと書いてなかったパートナーのことなど、インターネットに流したくないこと含めすみずみまで1冊に詰め込んだエピソード集です。以前結婚報告をしたときに初めて性別をきちんと定義したのも、この実体験を書くためでした。サンキュな!

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目次は確かこんな感じです。今回出る理由は色々ありますが、そのひとつにはご来場の皆さんから妊娠出産育児に関するいろいろな情報を集めて今後に活かしたいなというのもあります。ということで500円で売りたいですが、何らかの話を教えてくれた100円引きとかそういう座組でいこうと思う(麻疹の予防接種は済んでるから平気)。

昨年はじめてコミティアや文フリに行って「うわ!面白いな!」と思い、遅ればせながら自分も出してみたいと思った矢先に身の回りで大きなエピソードがあって、そりゃこうするっきゃないよなと思った次第です。同日に代々木公園のLGBTイベントで浜崎あゆみがフリーライブするのでめちゃくちゃ行きたいけど、たぶんずっといます。妻が破水したら本だけ置いとく。

今回のエッセイはいずれもっと整形し、「プレパパお役立ち情報満載☺」みたいな情報の塊として出したいですが、グルーヴ感は1stアルバムにこそ、ということで楽しく表白しています。

おためし版として、第1話だけnoteに上げてみました。こういうノリが15章続く感じです。

note.mu

 

浜崎あゆみが20年もayuしてた

「開演時刻が大幅に遅れ、大変申し訳ございません」と場内MC。16時ちょうど予定が20分過ぎただけでこんなに謝るなんて、よっぽど色んな人に叩かれてきたのだなあと勘ぐってしまう。4月8日の日曜日、浜崎あゆみ20周年ツアー「POWER of MUSIC 20th Anniversary」2日目の話。ちなみに行ったら偶然その日がデビュー記念日で、入場時に「アンコールのときにサプライズでayuに歌を贈ろう!」ってチラシをもらったけど、開演前からアンコールがあることを教えてくれる貴重な現場に感謝します。

www.oricon.co.jp

以前「今日び毎日どっかでアニバーサリーですよ」なんて誰かが言ってて「確かに」と思ったもんだけど、その中でも浜崎あゆみ歌姫生活20年にはさすがに驚いてしかたない。きっと多くの人がそう思っているように、私も彼女のキャリアがまさかこんなに続くと思わなかった。

2000年代前半はめざましテレビなんかで毎週のようにayuがなんらかの新記録を樹立した的な話ばかりしていた。もちろん実際に浜崎あゆみ楽曲がたくさんの人に届いてたのは間違いないけど、自分を含めてあの盛り上がりを「単純にバックの太さを存分に活かした圧の強いメディア展開」とアレルギー反応を示した人は少なくないだろう。

そして2010年代。ayu作品のリミックス盤やベスト盤が何枚出たかわからなくなってきた今日このごろ、彼女こそが日本を代表するアーティストだと主張する人はそんなにいない。どころかソースの怪しい週刊誌記事やSNSのコメントをかき集めたメディアが事あるごとにayuをバカにする。そういう扱いでOKな人になってしまったなあ…そんなことを考えていたら、私は「ayu今どうしているんだろう」という気持ちを抑えられなくなっていた。

 

さいたまスーパーアリーナはしっかりと人が入っていた。ayuの単独を観に来たのは2014年末の代々木体育館カウントダウン以来で、そのときも満員。ayu現場はいつも「実はこんなに支持している人がいる」という驚き混じりの再確認から始まる。なんでかは知らんけどガイジン日本語調の煽りアナウンスがあり、そのあと客席からayuコールが自然発生。しばらくそれを聞いていると会場が暗転してコンサートが始まった。

公演は暗闇の中でいきなり全力浜崎あゆみ声でのアカペラから始まって、それが甲高い歓声と乳幼児の泣き声を誘う。Ayuはゴング即デンプシーロールみたいな感じでキマりまくっており、アカペラからストリングス、ロックバンド、フリーキーな格好のコーラストリオを従えて1曲目にしてX JAPANのフィナーレみたいなダイナミック世界を即納した。しかもそこから「威風堂々」をブレンドして大河ドラマみたいな「evolution」になだれ込む荒業まで仕掛けてくるので、4月前半なのに早々で汗だくになってしまった。

その後もコンサートでは「A song for xx」「SEASONS」はじめ「おれでも知ってる!」みたいな曲がどんどこどんどこプレイされ、観客の過半数が挙げるピンク色のペンラとセットでいい思い出みたいなハイライトシーンをいくつも作り上げてくれた。当時まったくといっていいほど関心を持たなかった自分なのに、こんなに知ってる曲があるんだねというところに彼女の“国民的”を感じる。

個人的には納得いっていないところもある。今ツアーはayuの「立ち止まることなくまだまだ前進し続ける覚悟を決めた音楽人生」を表現したものだそうで、前述のオリコンも「“原点回帰”を意識し、ダンサー・パフォーマーたちの派手な演出は控え目に、バンド・コーラス・ストリングスを中心とした」と書いてたけど、全然そんなことなかった。コンサートはayuが3曲くらい歌ってから退場し5分くらいインターバル取ってを繰り返す、その幕間にダンサーパフォーマー大活躍という内容で、何が「演出控えめ」だ?しまいには浜崎あゆみじゃない歌(従兄弟の曲)をサポートボーカルがフルで歌うとかは「オッ誰現場です?」となった。

 

そんな「POWER of MUSIC(ただし本人とは限らない)」的な、MUSIC部分に異議ありの夜ではあった。だが、並々ならぬ「POWER」をひしひし感じた夜であった。

「Boys & Girlsこの部分まったく歌わないかー」って感じで当時と比べて明らかに歌唱力は落ちた2018年の浜崎あゆみが、よっちゃんはじめチームの力を借りながらゴリ押しでパフォーマンスを成立させようと奮進する姿、それは00年代の広告出稿よりもずっと好ましい“POWER”。繰り出される展開の読めなさは振り返ってなお痛快だった。楽曲を歌いながら高まりすぎて涙する浜崎あゆみ、あーりんも真似た独特の煽り方を繰り出し続ける浜崎あゆみ、四つん這いで獣のように荒ぶるぜ浜崎あゆみ…!ああ、ayuッッッッ!!!てなる。

今はなきチケキャンなど、中古チケット市場で浜崎あゆみの相場を眺めていると、そこに面白い現象が起きていることがわかる。だいたいいつも「売ります」が叩き売り状態で、「買います」はアリーナ前方を希望する異様な高額リストがある。「売ります」には転売気分マンの惰性が、「買います」はどうしてもayuを至近距離で感じたいという強すぎる欲求(と異常な金銭感覚)がそれを作り出すんだろう。実際にさいたまスーパーアリーナでの求心力は、単に大箱だからと片付けられない強さがあった。

浜崎あゆみは今も歌姫だ。世間がめちゃくちゃ彼女を面白がってるけれど、お前らや私が知らない日本のどこかで、今日も全力でayuたる玉座にいる。あるいは、Team Ayuのメンバーと一緒に浜崎はayuという箱物の世界を守っている(ちな現場ではダンサー個別にファンがついててビビった)。なりふりなんてもうかまってない。ファンのためかチームのためか彼女自身なのか知らんけど、浜崎あゆみが全身で守っているその世界は必見の価値がある。

やあほんと今こそ浜崎あゆみを観よう、20年もAyuしてる浜崎あゆみを。ayuのことバカにしてるお前らどうせ彼女が引退を宣言したらポエム書くんでしょう?なら今のうちに観てくれ。今回のツアーはヒット曲満載で「宇多田ヒカルのカバーが一番の目玉」とか言われてた頃の公演よりは絶対に間口が広いから!たのむぞ!と言おうと思ってたら5月6日に代々木公園フリーライブあるんですね。みんな絶対に行けよな、約束だ。

natalie.mu

アイドル現場に向かったら、そこはtipToe.という幻の高校生活だった

間もなく子どもが産まれる。親としての自覚はまだない。ただ、先に産まれて生活してる立場としては絶対に教えたいことがいくつかあって、その中でわりと切実なものは「男子校にだけは行くな」ってやつ。これは具体的な助言として自信を持って言える。

学園祭のあと校庭でキャンプファイヤーだと?そのあとクラスでカラオケ打ち上げだと?あれあのふたりどこいっただと?みんなーあいつら階段で告白してるぞだと?なにそれもう本当にルサンチマンだ。もちろん異性の目がないことでできた楽しいことも沢山あったけど、やっぱり長年社会生活を営まねばならぬ人生において、血気盛んな頃の隔離生活はあまりに不自然だ。ああ、もし人生をやり直せるのなら共学を出たい……!そんな気持ちでいたら、アイドル現場にそれがあったよ。

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tipToe.|アイドルグループ「tipToe.」公式ウェブサイト

背伸びを意味するグループ名tipToe.(ティップトー)。「みんなで青春しませんか?」がコンセプトの等身大センチメンタルアイドルグループで、メンバー任期は3年間の6人組だ。

もともとは先日のアイドルネッサンス解散の喪失感を埋めるべくTwitterで「なんかこういうのないか!曲がよくてYouth感がすごいやつ!」などと求めていたら2つレスがあり、2名とも彼女たちをオススメしてきたので聴いたら即日のめりこんだのがきっかけだ。楽曲は、四分打ちハイハットの疾走感ロックに□□□や相対性理論のようなインテリ譜割り、チップチューンなどの00年代要素が混ざりあうヴィレヴァンポップスが多い。そこに、転調やポエトリー気味のラップがスパイスとしてもぐりこんでいる。全然気が抜けない佳曲ばかりだ。

1stアルバム「magic hour」がリリースしたばかり、まだ10曲ちょいしかないレパートリーなのにこんなに…ありがてえ…!ってなる日々の中で2度目となるワンマンがあると知り、4月14日に渋谷DESEOで行われた 単独公演「blue moment」に行った。

ライブは最近グループに導入されたバンドセット30分、バンドなしパフォーマンスも同じくらいで、アンコールにはアコースティックバージョンも挟むという盛りだくさん構成。動員100人程度のいわゆる地下アイドル単独は初めてで少しドキドキしつつ、割と荒い進行やPAが面白かった。

で、そこで僕は見てしまったのだ。ステージの上に、僕が体験できなかったはずの世界があって、それをこの目で見てしまったのだ。

学校は、年齢と地域、あと偏差値くらいでしかグルーピングされない。tipToe.はそんなカルチャーフィルターのない箱物社会そのもの。中西里菜やまぐちりこ的パーツはっきり系ルックスでMCもアイドル現場的な花咲なつみがいて、その隣に優等生的な都塚寧々がいるとかでtipToe.はキャラクターが全員違う。グループアイドルって同じスタジオでトレーニングしてるとか同じ釜の飯喰って活動してるとかで均一化されそうなものなのに、それをほとんど感じなかった。

6人ならではのフォーメーションを活かしたパフォーマンスは、1人ひとりを見てるとそれぞれ得意分野や実力がかなり違っていそうで、ステージ上で見せる熱量もさまざま。アンコール以外ナマだったであろう歌声もラピスラズリのぶつかり合いだった。でもそれが不統一感となってモヤモヤすることはなく、各自いろんな想いを抱きながらマイペースに過ごす、学校の日常感として観る側を楽しませてくれた。こんなアイドルグループがあるのか…!

アイドル単独って最後はひとりずつエモいこと言って涙でグズグズになりながら「ありがとうございましたーーーー!!!」と幕を下ろすみたいなイメージだったけど、そういうカタルシスはなく穏やかに閉幕。いやこれ、いいぞ。これから露出回数を増すことでどんどん洗練されていきそうだけど、どこかにずっとこの空気を捨てきれないまま活動してほしい。tipToe.のクラスメート感は抜群。こういう体験を僕はずっと待っていたんだ。

Juice=Juiceインタビュー掲載報告と「本人」の由来

音楽誌ラティーナ創刊66年記念号の特集「中南米を旅する」にて、Juice=Juice宮崎由加宮本佳林段原瑠々の3人にインタビューしました。その中から昨年のワールドツアーについて現地エピソード中心に記事化しています。ハロプロ現場ではなくインタビュー。初めてでしたのでよかったです(生きていて)。

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さてこの「文:本人」クレジット。ブログやSNSではなく商業媒体に載って改めてめんどくさいなーと思い始めています。今回だとあたかもJ=Jが書いたかのようだね!関係各位にお詫びします。

私がTwitterをやり始めたとき、当初その名前は向井理でした。でも「ゲゲゲの乳房!」とか好き勝手にツイートしてたらTwitter警察からすぐさま怒られ、慌てて「向井理bot)」に付け替えた次第です。そして4月1日だけ「向井理(本人)」を名乗り、4月2日からは「せんとくん(本人)」「朝バナナ(本人)」なんて具合に、そのときそのときのバズワードでやらせていただいたと。

それから2015年、長渕剛がオールナイトライブをした日に私は「長渕剛(本人)」を名乗って見たものだいたいすべてを好き放題スマホに打ち込んでいました。そのとき襟足の長い人から「お前なに剛とか言って調子こいてんの?」といった叱咤激励をいただき、はわわと「本人」だけにしました。そして今日の私・本人に至ります。

 先日この記事を見たときに、当時好きだった人がいつまでも私のこと本人と呼んでいたのがトキンってなったなと思い出したりしました。最近は知らんけどいつまでも元気でいてほしい。

そんな思いはあまり込められていませんが、本人が書いた記事が載っていますラティーナ5月号、4月20日発売です。かしこ。

https://www.amazon.co.jp/dp/B07B5WB9KB/

どんどん変わっていくceroが楽しみでなあ

ceroが5月16日にリリースする4thアルバム「POLY LIFE MULTI SOUL」のプレビュー公演的な2DAYSライブが4月12、13日にあった。

www.youtube.com

 両日ともに新曲からスタートしたライブは、2曲目もまたその次もという調子で、まだ世に出ていないアルバム曲が次々に飛び出す。披露された新曲群は前作の都会的な黒い音からまたひとつ色を変え、前作の参照元がニューヨークならば今作ではアフリカに到達したかのような印象のルーツさらに深掘り感があった。

ポリリズムや呪術的なアンサンブルwithコーラスといった大陸的なものとか、ジャマイカな裏弾きのカッティングギターにルンバなアコギとか。果ては個人的にうれしかったハウスの片鱗まで見えて…そうした数々の音楽を、彼らは今の感覚で着こなしていた。ceroの懐はさらに深くなり、それを聴く私(達)はまたもや気持ちよかった。

 

今回の変化に至ったのはceroの3人を支える“第4のcero”達が大きく作用しているのだろう。3rd以降から準レギュラー化した古川麦小田朋美、角銅真実によるサウンドの貢献度はライブを見れば明らかで、昨年から観るライブ観るライブでどんどんアンサンブルを豊かにしていった。

そんなメンバーで作り上げたであろう新曲はとても先進的だったし、前作の収録曲「Elephant Ghost」なんかも先日はますます生き生きとして。髙城晶平も酸素カプセルから飛び出したイアンブラウンばりにステージを動き回って縦横無尽の心地が見えた。

 

ceroというグループは読めない。ライブはもちろん、そもそもの音楽性もそうで、レトロな音を出すニューカマーだねーと1stアルバム「WORLD RECORD」を愛聴していたらアルバムごとにアーバンだネオソウルだと音の顔つきが変わり、プレイヤーも4人6人8人ときどき2桁って感じで増減する。「彼らと言えばこれだ」を説明しづらい。時間とともに嗜好が変わるリスナーと同じくらいのスピードで新陳代謝していく。

その課程で、必ずしも成功とは呼べない転び方を見せるライブなんかもある。昔からずっとライブを観てきた中で、うるさがたの友人と「この日はなんだかよくわからなかったね」なんて終演後に話しながら帰るみたいなライブも、下手したら3回に1回くらいはあった。ただ昨年からは外しのないステージに出くわす機会が増えてきたのが明らかなので、きっと本人たちも気持ちいいモードで活動しているんだなあと思う。

 

いろんなアーティストのコンサートを観て過ごしていると「あの人達の曲を聴いて汗だくにハシャぎたい」「彼女の歌にしっかりと体内を洗い流されたい」と、各人になんとなく目的を見出してしまってることが多い。でもceroに関してはいまいちそれが定まらない。かんたんに言えば知的好奇心を満たしていただいています、だけど…それにしたって初日のCTCは突き抜けて楽しかったし、2日目のOrphansでは「生命(いのち)…!」と近頃の自分や新しい命に想いを馳せてしまったし。2日間、とてもいいライブだった。

次はいよいよアルバムも楽しみになる。歌詞の読み解きも忙しくなろう。聴き込んでからのライブも(出産後だから行けないと思うけど)また楽しかろう。こんな調子でceroをとても頼もしい存在として見ている2018年だ。